独逸と韓国の人市民団体の連帯が実り 

ヤジディ族人権活動家「日本軍被害者だけの象徴ではない」 

日本の官房長官「撤去に向けて関係者にアプローチする」 

 「平和の少女像(少女像)は、性暴力被害者の勇気と正義に対する象徴だ。その闘いは、今日も閉じ込められている3000人のヤジディ族女性への支援へとつながるべきだ」(ベレーナ・フランケ、「一つになった世界のための再分配財団」女性分科代表)

 「少女像が世界各地に設置されなければならない理由は、コンゴやアフガニスタン、シリア、ミャンマーで現在も行われている戦時性暴力に目を向けさせるためだ」(インジャ・エシェバフ元ラーベンスブルク市ナチス強制収容所記念館長)

  28日(現地時間)、ドイツのベルリン市で開かれた「平和の少女像」除幕式で、世界の戦時性暴力被害地域が次々と呼ばれた。少女像の建設を主導したドイツ・韓国の団体「コリア協議会」や建設に力を貸したベルリン在住の日本人女性たちの会である「ベルリン女の会」のメンバーたち、ドイツ地域の文化運動団体、スーダンの女性人権団体、咸興(ハムフン)地域の障害者たちを後援する「zusammen(共に)咸興」など、様々な女性人権運動活動家たちは除幕式で、現在世界中で行われている国家の性暴力を暴露し、解決を求めた。

 同日、最も多く呼ばれたのはイラク北部の少数民族ヤジディ族の女性たちだ。ヤジディ族人権活動家のヌジアン・グィナイさん(40)は「韓国から来た少女像はヤジディ女性たちの姿そのもの」だと述べ、拍手を受けた。ベルリン・ヤジディ女性協会を作ったグィナイさんはハンギョレのインタビューで、「2014年にイスラム国(IS)によるヤジディ族人種抹殺攻撃の後、多くの女性が性暴力の犠牲者になった。まだ3000人は行方不明の状態だ。彼らの大半は女性だ」と実態を伝えた。グィナイさんは「女性は自らを組織しなければならない。少女像は過去アジア地域で日本軍によって被害を受けた女性たちの象徴であるだけでなく、世界的な連帯で危機に瀕した他の女性たちを救わなければならないというシグナル」だと、繰り返し訴えた。

 ドイツでは、少女像の建設・撤去を巡る戦いは常に現在進行形だ。ヴィーゼント市に建てられた「ヨーロッパ第1号」の少女像は碑文が撤去され、ラベンスブリュック記念館の小さな少女像が撤去されるなど、少女像の建設の度に日本政府の抗議が強かった。にもかかわらず、今回再びベルリン市ミッテ区の公共敷地に少女像が建てられたのは、地域団体と女性団体が連帯の意に共感したためと言える。ドイツで公共場所に少女像が建てられたのは今回が初めて。

 同日、連帯のメッセージを発表した「メディカ・モンディアル」の政治・広報担当のサラ・プレムベルクさん(40)は、なぜ韓国の少女像がドイツに建てられなければならないかという質問に対し、「日本軍慰安婦問題は、国家主義や女性の身体に対する統制、民族浄化(エスニック・クレンジング)などの形を変えて絶えず起きている国家による性暴力の一例だ。少女像は文化的記念物ではなく、世界各地で行われている戦時性被害の証拠であるため」と説明した。

 「メディカ・モンディアル」は、性暴力被害者に対する医療・心理・法支援のために1993年にドイツのケルンに設立された女性人権団体だ。サラ・プレムベルクさんはまた、「韓国だけでなく、第二次世界大戦当時、欧州でも多くの女性たちが性奴隷として連れていかれた。ドイツは戦犯国家として戦時性暴力被害者に対する責任を想起するため、少女像を建てる必要がある」という考えを明らかにした。

 ベルリンの少女像建設のために日本軍慰安婦問題対策協議会とコリア協議会で力を貸した日本人たちもいた。コリア協議会のメンバーとして活動するイシヤマ・ユミコさん(46)は「最初は日本軍慰安婦がいたという事実を認めるのが最もつらかった。ドイツでは具体的にナチスについて教え、多くの映像と戦争遺産で歴史を想起させる。日本も主導的に歴史を記憶することができたのではないかと思う。日本に住んでいる時はこう考える機会さえ持てなかったことに怒りを覚える」と話した。

 一方、日本政府は今回のベルリン少女像も撤去を求める考えを示した。加藤勝信官房長官は29日の定例記者会見で、今回の少女像についても「極めて残念だ。撤去に向けて様々な関係者にアプローチし、我が国の立場を説明する」と述べた。

ベルリン/ナム・ウンジュ通信員(お問い合わせ japan@hani.co.kr)

http://www.hani.co.kr/arti/international/europe/964075.html