善良だが無能に見える現政権悪辣だが政治的には有能

無能な野党に期待できるか

ユン・ソクヨルが人気を集める理由がここにある

 現政権が発足して以降、しばらくは善良な志を持っているものの、無能な人たちだと思っていた。学生運動家として活動した頃の理想を現実の政治を通じて実現しようとしているため、衝突を招いていると思った。供給を増やせば市場が自然に解決してくれる不動産問題を、税金を引き上げることで安定化させようとするのを見て、実に無能だと思った。ソウルに新築マンションが常に建設されていれば、国民たちは「今を逃せば今後買えなくなる」と言って慌てる必要もなくなるわけだ。自分たちで住宅価格を引き上げておきながら、それに合わせて税金を引き上げる行為を、当時は不動産政策の失敗とばかり考えていた。

 無能な上、善良でもないと思うようになったのは、昨年のチョ・グク元法務部(日本の省庁に当たる)長官関連の事件が世間を騒がすようになってからだ。現政権を代表するほど善良に見えたチョ・グク元長官が、数十億ウォン(約数億円)規模の私募ファンドと入試不正に関与し、自分の言った言葉を「完全に覆す」のを目の当たりにしてからだ。大統領府が蔚山市長の選挙工作に介入し、慰安婦被害者のための後援金を自分の口座に入金させた人が国会議員になっていくのを見ながら、こうした思いは確信へと変わっていった。悪辣(あくらつ)で無能な人たちだという思いだ。

 現政権が検察総長に対する姿を見ながら、この思いはまたも変化しようとしている。大統領は「わが総長様」と呼び、「生きた権力も捜査せよ」と指示したものの、その総長が実際に権力を捜査するので法務長官を変えた。そして新たに就任した長官は毎日検察総長を苦しめている。一言で言って、俳優がシナリオ通りに演技しないからキャスティング監督を変え、キャスティング監督は主演俳優に降格せよと圧力を加えているようなものだ。これら全てが監督の指示であり、ある政治的計算のため、同監督は一切前面に出てこない。善良ではなく、政治的に有能なのだ。

 彼らの「悪辣で有能な」手法を何度も目の当たりにしてみると、なぜそのようにするのか理解できるようになった。彼らの「ずうずうしさ」と「言った言葉を覆すこと」「他人のせいにすること」は、明らかに悪いイメージを与え、票を奪われることになる。ところが、先の総選挙で大勝利を収めた。コンクリートのような支持層は、どんな問題が発生しても揺さぶられないということを悟った人たちは、支持層を結束させるためなら何でも行う。それでも票が足りない場合は、現金ばら巻き型の福祉政策をはじめとするさまざまな方法でかき集めればいいくらいに思っているようだ。大統領は「うまくいっている」「自信がある」というむなしい言葉を連発し、彼らの有能さを促している。

 与党が大統領の約束を破ってまで党憲を改正し、補欠選挙に候補を出すというのを見ると、彼らは厚かましいのではなく、有能なのだ。そうやったところで、一定数の票は確保できるという計算があるのだ。こうなれば、大統領の約束であろうが何であろうが破ることができる。大統領は何も言わなければいい。善良で無能なのではなく、悪辣で有能な人たちだ。今になって見れば、不動産政策も単に失敗したのではなく、彼ら特有の政治的有能さを示す政策、国民を敵と味方に分けるための政策だったようだ。

 現職検察総長が大統領選候補の支持率トップにのし上がった理由は何だと思うのか。彼が何らかのビジョンを提示したり、約束をしたりしただろうか。彼はただ自分の仕事に忠実だったが、無実の罪で追い出される羽目になったため、国会に出席して自分の心境を吐露しただけのことだ。同世論調査は、現政権に対する怒りを表しているとともに、野党に期待することができないということを物語っている。これまで、どの時代の政権下で全国民が「検察総長」、いや「検事長」の名前までを覚えたことがあっただろうか。これこそが「キャンドルデモ」で立ち上がったという現政権の現住所だ。私はキャンドルデモに参加したことを悔やんでいる。

 そのような点で、トランプも悪辣で有能な人だった。米国の大統領選挙はわれわれに多くのことを示唆している。では、韓国の野党にはどんな人々が属しているのか。悪辣なのかはさておき、無能であることは確かなようだ。突然ユン・ソクヨルが1位に躍り出た理由がここにある。

ハン・ヒョンウ論説委員