2002年の大統領選挙前の民主党選挙対策委員会本部長会議では各席にノートパソコンが置かれた。当時、ノートパソコン会議というものは初めて見る光景だった。出席者の多くはノートパソコンの扱い方を知らない「コンピューター音痴」だったが、そんなことは重要ではなかった。政党には選挙の専門家が多い。どのような場面を演出し、どのような議題を投げ掛ければ有利になるか、一日中そればかり考えていた。民主党には大学総学生会選挙運動を手始めにずっと選挙運動に専念してきた人が多い。つまり、選挙専門家政党なのだ。

 策士の選挙専門家を「スピンドクター」という。ボールにスピンをかけて打者をだますことに由来する。論点をすり替え、本質を変えたり、覆い隠したりするテクニックだ。盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領が「じゃあ妻を捨てろというのか」と言い返して、妻の父親の6・25良民虐殺問題を封じ込めてしまったのもその一例だ。「問題は経済だ、愚か者め」というスローガンでブッシュ大統領を倒したクリントン氏のスピンドクター、ディック・モリスは自身の選挙戦略を「最先端の問題を先取りして相手を分裂させ、支持者たちは結集させろ」と言った。この戦略を最もよく実践してきた政党は、韓国の民主党だろう。

 2002年の大統領選挙で、民主党は米軍装甲車の事故により女子中学生が死亡すると、交通事故を大きな反米政治課題に仕立てた。党を挙げて「アジュンマ(中年女性)部隊」も動員した。御用放送を動員して詐欺師・金大業(キム・デオプ)を義人にした。何よりも首都移転公約に不利だった忠清圏で逆転した。その後も無償給食、大学授業料半額化など、相手を分断して自分の味方に引き入れる議題が民主党から飛び出し、選挙戦を熱くした。前回の総選挙でも、共に民主党は「「竹槍歌(竹槍を手に日本軍に反乱を起こした東学軍を題材にした歌)」と「土着倭寇(わこう)」攻撃を総選挙に利用するという手も使った。

 来年の釜山市長補欠選挙を前にした共に民主党は、金海新空港を白紙化し、加徳島新空港の建設を推し進めている。同党所属の呉巨敦(オ・ゴドン)前釜山市長がセクハラ(性的嫌がらせ)問題で辞任したのに伴う補欠選挙だ。共に民主党に対する釜山市民の否定的な見方を、加徳島新空港問題で一気にかき消してしまった。野党・国民の力は大邱・慶尚北道と釜山・蔚山・慶尚南道に割れた。メディアや他地域の批判の声が高まるほど、釜山市民はこれに反発し、共に民主党寄りになる可能性がある。セクハラ自粛をしても足りない共に民主党が、かえって会心の笑みを浮かべている。

 共に民主党のスピンドクターたちがソウル市長補欠選挙を放っておくはずがない。江南と非江南に分裂させる方法を考えている可能性がある。どうせ江南の票は少数に過ぎない。スピンドクターたちにとって、選挙は手段・方法を問わず、勝たなければならないものだ。共に民主党は選挙のたびに勝っているが、国は手が付けられないほど病んでいる。現政権が発足して以降、国の負債はなんと220兆ウォン(約20兆円)も増えた。共に民主党が選挙で勝つために国が払った金だ。

李東勲(イ・ドンフン)論説委員